Sky High

これからの時代を生き抜くためにいかにしていくべきか、時局や歴史や法則様々な観点から独自の調査をもとに洞察を深めながら記していきます。皆様の感性に良い刺激となれば光栄です。

♯21 福祉原論

過去に福祉を学んでいた事がありますので

その時に感じた事を残しておこうと思います。

これは私の個人的な主観なので

人それぞれ感じはことはあるかと思います。

一意見として捉えて頂けらば幸いです。


結論から言います。

現行福祉は対処的福祉と言わざる得ない。

必ず、従事者はやっている事としようとしている事の矛盾にぶち当たり、妥協するか、もしくは絶望してその世界から離脱するか鬱みたいな状態になると考えられる。

多くの人は前者の妥協を選択するであろう。

しかしながら後者の人は少数であるが、この人たちは本当の福祉者としての精神を持っている人だと思う。


大学で学ぶことは、

実務を行う上での必要な歴史的背景と考察、実務を行う上での基礎知識、並びに援助技術である。

最もなことだと思うでしょう。


しかしながらどうなのでしょう。

福祉者としての精神、どういう哲学や思想を持って

自分は歩んでいくべきなのか

そういった位置人間として精神的根幹となるものを

教えるものは何も無いと言える。


なんとなく人のためにとかいった動機を持ってきている人たちであろうが

自分を常に掘り下げて追求する意識がなければ

援助のクオリティは上がることはないし

仕事としての援助になりさがるであろう。


この点において

妥協するか、もしくはその矛盾を自己の中に見出してもがき苦しむか。

これが今後、深い問題として浮上してくるであろう。


医学において、

治療という概念を追求し続けてきたが、

昨今、living willの概念や緩和ケア、リハビリテーションといった、患者に対してどうなのか

それに対しての医学のあり方が考えられ始めようとしている。


福祉においてもそういう論議が今後なされてくる日が来るであろう。

従事者の働く動機となる哲学や思想、こういった福祉原論という見つめ方も必要であると私は思う。

一つ一つには命が輝いている

どんなものでも命を持っている。
石にしても、水にしても、草木や大地にしても
多くの命が土台となって
初めて人間は生きていける。


そういう命に常にリスペクトし、
真心を持って
日々を歩んでいきたいものです。


合掌

♯20 自分のためよりも相手の為に動いた方が信念は強く持てる

事を始めようとした時に

三日坊主になったり、うまくいかないと"もういいや"といって諦めてしまったりしたことはないでしょうか。

そういう時は、結構自分のためにやっている事が多いのではないかと思います。


部活動されている方とかは、

自分が強くなるため練習に励みますが、限界かなぁと思うとこれくらいでいいかなって辞めてしまう事がありますが、

同じ状況の時に、仲間がまだこんなもんじゃ買い手に勝てないといって頑張ってると自分も最後の力を出してやりきったりすることはなかったでしょうか。


ダイエットでもそうです。

自分が痩せようと思ってやっていると中々長続きしないものですが、家族が健康を心配するからとか、子供に恥をかかせなくないとかという思いが強いと結構頑張れるものではないかと思います。


これらから分かるように、

自分で目的に向かってやろうという動機よりも、

相手のためにやってみるか!という動機になった方が結構人間は頑張れるものではないかと思います。


物事を始める際に、

相手のためにという動機づけをして始めると何事も信念を強く持てるのではないかと思います。


皆様にとって良い1日でありますように。

合掌