lecture9 人のために尽くしても、価値観の違いで、同じ事をしても人によっては180度違った価値のものになる
自己犠牲という言葉があります。
良い意味でも使われますし、悪い意味でも使われることばでもあります。
同じ事柄でも、
ある人にとっては自己犠牲と捉えることもあれば
何らそんな事はないという人もいます。
それは、
人其々の価値観によって大きく異なるものだとおも思います。
その人の人生での経験や体験、
学んだ知識や感じ取ったもので同じ事でも全く違う
感じ方をする事ができる。
これが人間の面白さの一つだと私は思います。
人の喜ぶ事をする際、
それひとつをとっても、単に喜んで欲しいと思っている人もいれば、
何かの見返りの期待を持ってやるのかでも
全く捉え方は違ってきます。
人に何かを託す際には
まず、先立って自分の気持ちが相手に対して動く、
つまり、意識が相手に向かいます。
そして、何をしてあげよう。どうすれば喜ぶか。
など色々と真心を尽くします。
そして、準備したり、時には何かを買ってあげたり
多くの時間と気遣いを費やしますので
心身を使い、時には財物を消費し、時間を費やします。
その時点で、
自分の時間や労力、資産などを消費しているのですから、必ず自分にとってはマイナスになる要因があるのです。
ここからが重要です。
単に、喜んでもらいたいという動機で出発した人は、相手が喜んでくれなくても、
その時は残念に思うかもしれませんが、
"そうか!こういう事をしてあげたらこの人は喜ぶんだな。"こういうふうな考え方してたのか。申し訳ないことしたな"
など、相手の新たな発見を見出して、
次はこうしてあげようと、マイナスの結果になっても、その事がなければ知る事ができなかったのだから、今知る事ができて良かった。
というふうな積極的な価値を付け、更に、自分のこれからの原動力にする事ができるでしょう。
されども、見返りを求めている場合、
相応の反応がなければ、
"これだけしてあげたのに失礼な奴だ"
"こいつは自己中な奴だ"
など、そういう評価をしてマイナスに捉えてしまうでしょう。
二つの価値観の大きな違いは何なのでしょうか。
私は、相手を中心に見るのか。自分中心に見るのか。この違いだと思うのです。
積極的にとれる価値観の人は、
自分はとりあえずおいておいて、相手にどう私が映ったのだろうかを考えています。
相手を鏡にして、相手に私はどう映っているのかを尊重して見つめています。
そうすると、自動的に相手に何をしてあげれば良いか。喜んでもらう事に第一義的価値を置くので、積極的にならざる得ないのです。
逆に消極的に捉える人は
結果に対して、自分が判断を下します。
相手の考え方や感性よりも、
自分が良かれと思ってやったのに!
こんだけやってあげたのに!
など、終始、自分を直球で投げてそれに対してどうかという価値観になっているの可能性が高いのではないかと思います。
つまり、側から見ると偽善者と見えてしまうという事です。
日々の小さい事でも、
自分の動機はどうであろうか。
自分はどんなふうに映っているか。
時々でも良いですから、自分を見つめてみることも大切ではないかと思います。
皆様にとって良い一日でありますように。
合掌